ドラゴンの思い出に刻まれた強者ども



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破壊王の思い出
 
 小学生の頃タイガーマスクが話題になり、いつもは外で暗くなるまで遊んでいたガキ大将が、遊びもそこそこに急いで家に帰っていった。仲間を引き連れて。
 その当時はプロレスラーといえば、猪木、馬場、ブッチャー、タイガー・戸口、藤波、ボビー・ダンカン、アンドレしか知らなかった。興味は無かったが、たまに焼肉屋やばあちゃんの家で見てたりしたから。

 初めて見たタイガーマスクはヒーローだった。卓越した動き、ヒーロー然とした振る舞い。何か気に入らなかった。コイツの鼻っ柱を折ってくれるやつは居ないのか?
 そしてオレはどんどんプロレスの世界にのめりこんで行った。
 つい前までは「ブラックジャック」の影響で医者か漫画家になる、と言っていたのだが、プロレスラーか漫画家になる、となった。
 
 「プロレススーパースター列伝」で梶原ワールドに引き込まれ、極真空手、ジャッキー・チェン、それに呼応して幼き日に見たブルース・リー熱も再燃する。
 現実に腕っ節の強い男に憧れたのだ。これは今でもオレの人格の核となっている。

 プロレスラーになるには今から体力を付けなきゃ…でもスポーツは嫌いだし苦手、野球なんてもっての他…第一野球部の雰囲気自体が嫌だ。
 「お父さん、僕に少林寺拳法か柔道を習わせてください。」
 「お前は根性なしだから止めとけ。」
確かにこの頃のオレはすぐ諦める子供だった…オレが社会人になってから、実は父がスポーツは好きだが、格闘技が嫌いだというのが最大の理由であることが判明。

 中学生になり、クラスが替わり交友関係も変わる。
 オレはクラスの秀才児の影響を受けアニメオタクになった。根性なし度に拍車が掛かる。ガキ大将に誘われて入ったサッカー部もすぐ幽霊部員となり、男として最低の3年間を過ごした。
 しかしアニメオタクである自分に違和感を覚え、この時深夜枠に移行していたプロレスを再び見るようになる。UWF対新日がメインだったが、ヤングライオン杯も放映されていた。
 海外遠征権を賭けたヤングライオン杯決勝。
 蝶野対橋本。
橋本優勝の機運が支配する中、優勝したのは蝶野だった。
 この当時の橋本はオレにとって「戦う渡辺徹」でしかなかった。

 オレは高校生になっていた。あのプロレスの熱を…ボクシング部、柔道部、少林寺拳法部のある学校だったが、オタクの習性は残り漫画研究部に入部。かつ自分が根性なしだと知っていたのでヤンキー学校で生き残る手段としてスネオになる方を選んでしまった。

 社会人になった。
 誠心会館対新日の抗争をきっかけに、プロレスよりむしろ格闘技に興味を持ち始める。
 第二次UWFが崩壊し、Uインター、リングス、藤原組に分裂。
 格闘技色の濃い、これらの団体を中心に観戦し、K1が開花する前の正道会館興行にもハマった…中でも打撃系格闘技がオレの目にはとてもかっこよく映った。
 子供の頃の憧れが衝き動かす。
 「バイクは乗れるようになった。とりあえず、ひとつは叶った。しかし、腕っ節の強さ…今やらずにいつやる!?このまま一生弱虫のまま口だけのハンパヤロウで過ごすのか?」
 そして気付くと空手道場に入門していた。
 ドラゴン24歳の夏。

 この頃、最強を語る団体のチャンピオン橋本は気に入らない存在だった…プロレス雑誌は毎週買ってたけど。
 そんな強いなら何でシュートやU系団体で戦わない?
 というわけで、しばらく橋本は嫌いなレスラーの一人だった。

 橋本はやがて柔道王、小川と戦った。
 格闘技派のオレは小川を応援してた。
 予想通り橋本は勝てなった。小川のほうが圧倒的に強いではないか!
 そして橋本は引退した。
 オレも10年勤めた会社を辞めた。

 その後橋本も何故か会社を追い出されていた。
 オレにも色々あった。今でも残る心の傷も作った。
 いつの間にやら「やるなら格闘技、見るならプロレス」って頭が出来上がっていた。

 次の就職先は、前の10年がハナクソに感じるほどの辛い会社だった。
 プロレスでも見なきゃやってらんねえ。
 橋本が何かやらかしてるな…ZERO ONE?え?小川とタッグ?

 邪道外道は昔から好きなレスラーだ。彼らはプロレスというものがわかってる。そんな彼らが自主興行を行う、というので数年ぶりにチケットを買った。K1が世間的に有名になってからプロレスや格闘技の興行から足が遠のいていたのだ。
 
 ゼロワンから大谷が来てメインで戦うのはわかっていたが、この興行を応援するゲストを紹介するというアナウンスが入り「爆勝宣言」が流れた。
 するとどうだろう…会場は以前から盛り上がっていたのだが途轍もないうねりが起こった。選手入場ゲートに一斉に観客が向かう。
 大橋本コール!
 しかし橋本は逆から入場してきた。
 そこは瞬く間に人で埋め尽くされた。
 オレの近くだ。
 ところがどうだ?橋本はこれだけの人間に囲まれながらも人に埋もれてはいなかった。オレの周囲は人だらけなのに橋本とオレとの間に隔てるものが無く感じられた。これこそスターのオーラだ!
 「オレを体感しろ」やだよ、そんなデブ…しかし実際体感してしまったら…「破壊王LOVE!」
になってしまったのだった。
 これまで橋本のやることなすことにケチを付けていたオレだが橋本全肯定の破壊王原理主義者となっていたのだった。
 そして休日の東京でのゼロワン興行は極力見に行くように努めていたのだった。

 やがて破壊王は肩を壊し、ゼロワンを追放されゼロワンは別団体となった。

 オレも気楽にチケット買うだけの経済的な余裕が一切無くなっていた。それでも破壊王復活の際はどんな無理をしてでも行かなければならない、とプロレス仲間に語っていたのだった。

 どうやら復帰第一戦はハッスルらしい…え〜?ハッスルぅ〜?なんて言ってた矢先…。

 2004年ゼロワンカレンダー、ゼロワンウインドブレイカーは一生モノの宝となってしまった。部屋整理する時捨てるもののひとつであって欲しかったよ、まったく…。

 さようなら。


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